老人の話

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無趣味の退職者の生活

2017年12月 2日 (土)

無趣味の退職者 24 課題について

5、でも触れましたが、課題について考えました。

ネットで見ると、課題の意味は「1、与える、または与えられる題目や主題。2、解決しなければならない問題、果たすべき仕事。」であるらしいです。

私は、5、で「 個性の発揮 」だとしましたが、弁明をさせて欲しいと思います。

私は「 神 」に司ることはないので、本来は「 神 」が個人に与える題目がそれぞれの個人の人生の課題だと思いますが、その課題を課題として受け取る個人の感受性が必要だと思います。

例えば、僧侶や神父などの神仏に司る人、あるいは人を指導すべき聖職者の全てが、「 課題 」を認識して行動しているとは、思えないのです。

個人の「 感受性 」次第で「 課題 」も違うでしょうし、「 感受性 」がなければ「 課題 」は無いかもしれません。

その意味で「 個性の発揮 」であると書きました。

神仏から「 課題 」を与えられるならば本望ですが、私の場合は、社会生活をしてきた中で、何か心に引っかかる言葉がありました。

このまま死んでしまえば、「 残念 」だという気持ちです。

「 念 」とは仏教用語で、心の働きの一つで物事をしっかりと記憶することであるらしいですが、「 執念 」という言葉にも使うように、何かに執着してそこから動かない心にも使います。

私は「 残念 」とう気持ちが、「 成仏 」する妨げになりはしないかと思い、これを自分なりに、自分の個性で、何とか決着をつけたいと思いました。

それは、「 誕生から死後までの意識 」に書いた「 色即是空、空即是色 」や「 死中生有り、生中生無し 」や「 我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこに行くのか 」という言葉でした。

それらに何とか自分なりに決着をつけたのが「 誕生から死後までの意識 」です。

私は、これから認知症になったり、不治の病で意識が薄れ、何の課題も感じなくなる老人になるでしょう。

これが、神様からの祝福であると思っています。

 

2017年9月21日 (木)

無趣味の退職者 23 誕生から死後までの意識の後記

「 誕生から死後までの意識 」を発表しておもうこと。

私は、大学の県の同窓会の会長が、私の名前を判読できず、かな文字で、しかも間違えて「 総会案内状 」を送ってくるような輩を輩出した京都の大学を卒業しました。

学者でもなく、科学者でもない無趣味の年金生活者ですので、「 誕生から死後までの意識 」には、誤解や曲解があることをお許しください。

私は、「 輪廻転生 」があると書きましたが、これは、「 心を安定させるための宗教 」だと思いますので、無視されても結構です。

ただ言いたかったことは、僧侶やスピリチュアルと言われる人が、「 地獄 」や「 極楽 」とか「 天国 」とか「 霊界 」とかいう所には行きたくないと思ったからです。

それらの存在を肯定して、言葉や本にすれば、「 執着 」が起こり、その人はその世界に行くでしょう。

なぜなら、死ぬ時、最も信頼するものが、その言葉や本で示したことであり、当然、愛着があると思います。

それに生命エネルギーが残りますから、「 霊 」として、その所に行くでしょう。

その人が言葉に愛着が無ければ、それは人を惑わすものでしょう。

霊界があるという人には、霊界があり、死ねば霊界に行くでしょう。

「 修行するためにこの世に生きる 」と言いますが、死ねば「 自分 」という自意識は消えるのですから、修行しているのは、自分を生かしているもので、霊界から来たものなら「 霊 」でしょうし、いずれにしても「 自分 」ではありません。

私は、私を「 生かした 」生命エネルギーが、すべての意識や無意識(情)は文化として人間社会に残し、人間味のある「 霊 」を捨てて、神仏が創った生物に、人間やほかの生物といった区別をしないで、生命エネルギーとして再び送り出されることを願うだけで、それを「 輪廻転生 」と書いたのです。

だから、否定する人は、否定してください。

誰でも、死ねば分かることですから。

2017年9月14日 (木)

無趣味の退職者 22 一億総活躍とは?

安倍政権が掲げた「 一億総活躍社会 」の実現でしょうか、現在の日本では、定年退職者たちも、「 目の色を変えて 」、「 自由時間 」を投げうって「 仕事 」を探したり、シルバー人材センターを通して働いています。

この人たちは、本当に「 安倍政権 」の政策実現のためそんな行動をするのでしょうか?

私は「 なまけ者 」のせいか、働こうともせず、家に居れば女房から、「 趣味をもちなさい 」でなければ、「 働きなさい 」と、うるさいほど催促してきます。

「 無趣味のすすめ 」という本を読んだことはありませんが、女房と同じく「 働け 」というのが結論のようです。

定年退職したら、のんびりと生活したいもので、私も現役の時は、そんな「 毎日が日曜日 」であることを夢見て働いてきました。

でも、こういう世間の風潮に対しては、「 反発心 」があります。

他の人がネットで、第二次世界大戦の「 一億総火の玉 」という言葉を思い出すといいましたが、私も、この意味を測りかねていました。

何という意味だろう?と。

それが、年金生活者になって、初めて、その意味を実感しました。

「 年金だけでは生活できない!!」

まさに、女房様のおっしゃる通りです。

当初、約束されていた「 年金 」が、支払者の上部を「 そんたく 」したのか、減額を一方的に「 通達 」し、我々、年金生活者は抗うこともできず、「 じゃあ、働きなさい 」という女房様の言葉で、仕事を探して、現金収入の道を確保しなければ、あわれ生活保護者となり、行政に税金で「 お世話 」にならなくてはならない水準になりました。

「 一億総活躍 」とは、「 今から、お前たちが立っている鍋底に火を点灯して、年金だけで食って行けなくするから、覚悟して、その鉄板の上で踊れよ 」という意味であると、実感したのです。

こんな状態で、「 趣味 」なんか持てるはずがない。

実質、北朝鮮と同じことを、我らの「安倍首相 」が行動しているではないか!!

他の政策と同じく、彼らは、憲法上の最低生活の保障たる「 生活保護 」とギリギリの生活を、かっての勤労者であった老人に背負わせ、自分たちは「 加計学園 」や「 森友学園 」にみられるように、権力乱用、スレスレのことをして、国会議員として国民の税金で、「 丸もうけ 」しているのだ。

これでは、国会議員は「 不倫 (W不倫)」や「 架空領収書による政治活動費の詐欺 」あるいは「 秘書への暴言・暴行 」を行っても、自分は議員辞職をせすに、堂々と、「 自分を選んだ国民 」のせいにするのも、うなずける。

ここ最近で、安倍首相をトップにした国会議員が、こんな行動をとるのが多いのも、自分も、男女の肉体関係や金銭の詐欺という場面で「 一億総活躍 」している国民だと思っているからだろう。

2017年9月13日 (水)

無趣味の退職者 21 課題達成のご報告

タイトル   「 誕生から死後までの意識  」
 
………………………………………………………………………
 
forkN による電子書籍
著者 高口克則
閲覧料金は無料
………………………………………………………………………
以上のように、電子書籍を作りました。
今まで、意識のことを書いてきましたが、以上が、現在の私の結論です。
これからも、少し、手直しをしなければいけないところもあると思いますが、67歳と68歳の区切りとします。
………………………………………………………………………
電子書籍の探し方 1。
Yahoo
Yahoo USA
Google
Google USA(英語に翻訳することもできる)
で、日本語で、「 誕生から死後までの意識 」と入力してください。
何時、抹消されるか心配ですが、今日のところは、検索すればヒットします。
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電子書籍の探し方 2
もしも、抹消されて、ヒットしない場合は、YahooかGoogleで、「 forkn 」と入力・検索して、「 forkn のメインページ 」を開き、作者を探す所を選んで、「 kandk  」と入力・検索してください。
そこに、「 kandk55  」と出ましたら、それをクリックすると、見れます。
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電子書籍の探し方 3
「 kandk55 」で検索、あるいは「 kandk55  frorkn」 で検索すれば、作品の一覧が見れます。f
もっと簡単にしました。
左のリンク集の「  箱根旅行と富士山/forkN  」をクリックすれば、みることが出来ます。

2017年9月10日 (日)

無趣味の退職者 20 私説 意識の構造

人間は四次元でものを考えるという。

私は、この「 次元 」というものが、数学が不得手のため、どうしても馴染めない。

これは、思考方法であり、その現実が如何なるものか(人間の認識がどうして四次元になるのか)は、私は知らない。

これは、私だけの考えだが、時間や空間が意識であり、人間の頭脳の産物であるとすれば、「 次元 」が実際はどうなっているのか分からない。

私は、生活する我々の「 認識 」が四次元であれば好都合なので、そうなっているのかも知れない。

我々が、時間と空間を必要とするのなら、認識する我々の意識の構造が、時間と空間を必須としているのだろうと思う。

私は、時間や空間を意識とし、その構造上、四次元の世界を見るのだろうと思う。

では、その構造とは、何か。

先日も書いたように、脳波のような電流が「 流れるもの 」である気(ki)で、それから「 派生するもの 」が意識とする。

一般に電流は磁場を生むが、この磁場が「 精神 」であると考える。

電流(気・エネルギー)はサイン波を持つが、これが、脳内に無意識と意識に共通な「 時間意識の軸(時間を感じる軸) 」と「 空間意識の軸(運動可能な余地を感じる軸) 」という直交した座標軸を生み、その気(ki)から伸びた座標軸が「 派生した精神 」の中で定義される「 時間 」と「 空間 」を感じさせると考える。

「 精神 」については、多くの学問があり、私が言うまでもないだろう。

認識から行動までは、次のように考える。

認識によって得た自分への力(ベクトル)を「 精神 」の中でT(時間)・P(場所)・O(機会)に応じた気(ki)を表層意識で目的的に把握し、それが深層意識と共通する体内の気(ki)より生じた「時間意識」と「 空間意識 」の軸を通り、深層意識(無意識)に達し、その中で「 時間意識 」と「 空間意識 」により因果の物語になっていた気(ki)である運動エネルギーを呼び覚まして、運動神経の中を流れると考える。

このように考えると、認識から行為までは、人体の外部から内部を通って気(ki)が流れる過程であるように思う。

これは、気(ki)というエネルギーが、人体を循環していると言ってもよいと思う。

気(ki)により精神が「 派生した 」と考えるのは、「 不確定性原理 」により、「 運動量 」と「 位置 」が同時に計測できないことに、ヒントを得た発想である。

「 派生した 」精神が、精神を派生させた気(ki)と同類の「 運動量 」を計測できないのは、人間が「 神 」になることが出来ないことと同様に当然であると考える。

……………………………………………………………………………

 

認識論は以上で終わります。

退職先から、アルバイトのお誘いがありましたので、ブログをしばらく休みます。

再開するときは、老人らしく、「 人間とは何か 」とか「 心 」とか「 宗教 」とか「 死後はどうなる 」とか「 神 」や「 仏 」や「 我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか 」などの話になると思います。

無趣味であるので、死を迎えるまでの考える時間は、たっぷりあると思います。

最後に、AIなどの科学の進歩について、ひとこと残します。

私は、科学と真実を同一してはならず、科学が進歩するということは、人間の認識が如何に、曖昧なものであることを証明しており、その延長であるAI(人口知能)が曖昧な人間の認識を基礎にしているならば、AIは、ますます間違った道を歩むことになると思います。

なぜなら、AIには、自分の持つすべてのデータを疑う哲学が無いからです。

それは、「 ヒトラーは間違っていない 」としたAIが、すべてを物語っているでしょう。

不満なのは、AIやロボットや車の自動運転など営利的な分野は進展するのに、どうして「 光合成ができる人口の葉 」などを作らないのでしょうか?

ユニセフの「 つなぐよ子に 」という、世界で栄養失調や病気で苦しむ子供達への募金を訴えるコマーシャルが流れます。

「 光合成ができる人口の葉 」を動かす電源は太陽電池でしようし、もしそれが実現すれば、子供達が少なくとも飢えに苦しむことは無いでしょうし、世界の高所や砂漠に住む人々の食生活も楽になるでしょう。

そうなってこそ、人類は科学の恩恵にあずかっていると言うことができるでしょう。

AIにすべてを委ねることは、人間性の否定にもなりかねません。

また、ガリレオの時のように、人間の持つ豊かな意識を、客観的で科学的で便利な機械に取って変らせようと思うのですか?

 

 

2017年9月 9日 (土)

無趣味の退職者 19  空間

先日、少し書いた「 空間意識 」についても、素人の考えながら、披露しよう。

「 空間 」も「 空間意識 」であると思う。

物体と物体の間に何も無いとき、「 空間 」と呼ぶ場合が多いが、何も無いとは個人の認識であり、「 物体と自分との間の空間 」というとき、空間の認識は更に困難になるだろう。

なぜなら、自分自身は物体ではなく、空間に満たされた細胞の集合であり、自分を貫通した空間なのか、あるいは自分の体の表皮までを空間と呼ぶかは、個人の都合次第であるからだ。

「 絶対空間 」も「 相対空間 」も定義された「 空間 」であり、人間の意識の中にしか存在しない。

もし「 絶対空間 」が有るとすれば、それは宇宙誕生以来、人間が定義(つまり、意識化)することしかできず、それ以外、全く窺い知ることができない「 神(エネルギー)の領域の空間 」であろう。

「 宇宙空間 」といっても宇宙の広がりが分からないし、宇宙の果てが、如何なる状態なのか知ったうえでの定義であるか、疑問であるし、定義(意識化)されたものである限り「 意識 」であることは免れないと思う。

「 空間 」が多種多様に考えられるために、「 定義 」を必要とするだろうし、「 定義 」が必要なのは、「 空間 」が、そもそも主観的で「 空間意識 」であることを認めているようなものだと思う。

それに、「 無い 」というのは、頭脳の中だけで言えることであり、実際は、必ず何かが有るのであって、「 無い 」というのは認識不能というだけだと思う。

地球の大気を取り除けば「 真空 」で、宇宙が何も無い「 真空 」で満たされていると頭脳で考えても、「 ディラック 」が考えたように「 真空 」を満たすものがあるかも知れず、「 何も無いと考える真空 」はあるのである。

「 真空 」と重なって「 大気 」「 空気 」があり、我々は、その真空を空気とともに、吸い込んで、体内で気(ki)を起こして生きているのである。

まして「 ブラックホール 」の周囲の真空の空間がどのような状態になるのかは知られていない。

「 空間 」という定義はあるが、定義のない「 空間 」は無い。

では、「 空間意識 」と何かになるが、私は「 記憶 」の関係で考えるから、「 運動可能な余地 」という意味に理解し、この「 運動エネルギーを空間意識と時間意識を使って相当因果関係のある物語 」として、脳は記憶すると考えたい。

前述したが、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を時間意識と空間意識の形式を取って(物語の形式を取って)、脳の中に蓄積されることにより、「 流れるもの 」である気(ki)に変化している状態が「 深層意識(無意識)」であり、それが神経に流れることにより、意識する前に出来事に応じて、T(時間)・P(場所)・O(機会)に応じて、既に行為している(無意識に体が動いている)のではないかと思う。

2017年9月 8日 (金)

無趣味の退職者 18 無意識

これも、素人の考えである。

先日『 気(ki)は、天気や気候や大気などという宇宙の気(ki)に通じており、私たちの体はこの気(ki)が絶えず出入りする、「 流れるもの」であると思う。一方「 意識 」は、気(ki)のように出入りするのではなく、「 自意識 」など生命体の個性を守るものであり、生命体特有のものだから「 流れるもの」ではなく、気(ki)から「 派生するもの」であると思う。』と書いたが、「 派生したものであったはずの意識(表層意識) 」が、「 睡眠 」などにより、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を時間意識の形式を取って(物語の形式を取って)、脳の中に蓄積されることにより、「 流れるもの 」である気(ki)に変化している状態が「 深層意識(無意識)」であり、それが神経に流れることにより、意識する前に出来事に応じて既に行為している(無意識に体が動いている)のではないかと思う。

この無意識は「 本能 」に近く、生命保持に動き、行為や呼吸やホルモンなど生命を司る「 脳幹 」を通過するのではないかと思う。

このような「 無意識 」が、私が言う「 人格 」であり、「 人柄やパーソナリティ 」であり、行為を導くと考える。

つまり、考え方を変えることにより、人格という無意識を変えられるということで、「 洗脳 」もできれば、元に戻すことも可能であると思う。

多分、仏教でいう「 自我 」も、自分の記憶により形成した自己中心的な自意識を、仏教の教えに沿って自分の考えを変えることにより、脱却できるというのかもしれない。

2017年9月 7日 (木)

無趣味の退職者 17 意識

私は、科学者でもなければ学者でもないので、詳しいことは知らない素人考えを書く。

「 意識 」は生き物が持っていると思うが、人間に限って考える。

「 意識 」は死者にはなく、生きている人間の中にある。

前者には生きるという気(ki)はなく、後者にはある。

肺とか心臓とか脳などという臓器が活動し、血液が循環させているのが気(ki)であると思う。

臓器の活動は神経かも知れないが、指令を与えるのは脳であり、これらの生命活動は小脳などの「 脳幹 」や神経や睡眠に関係する「 間脳 」とその周辺の「 大脳辺縁系 」などであり、思考の関する大脳による指令でなされているだろう。

脳も臓器も、神経を活動させる電気があるだろう。

だから、心臓の動きは心電図、脳の活動は脳波により推察されると思う。

これを気(ki)というエネルギーだとする。

私は、死者には無く、生きている人間にあるのは気(ki)であると思う。

この気(ki)は、天気や気候や大気などという宇宙の気(ki)に通じており、私たちの体はこの気(ki)が絶えず出入りする、「 流れるもの」であると思う。

一方「 意識 」は、気(ki)のように出入りするのではなく、「 自意識 」など生命体の個性を守るものであり、生命体特有のものだから「 流れるもの」ではなく、気(ki)から「 派生するもの」であると思う。

私は、この「 意識 」を「 表層意識 」と「 深層意識 」に分類することに賛成する。

前者は「 末那識(manasiki)」で後者は「 阿頼耶識(arayasiki)」に相当し、「 意識 」といえば前者であり、「 無意識 」といえば後者になると思う。

前者は、目的的活動であり、後者は蓄積活動を主にし、前者は「 前頭葉 」で後者は「 海馬 」に相当し、両者は主に「 睡眠 」を通して交流するだろう。

「 意識 」は気(ki)から派生するのだが、DNAの螺旋構造の影響で、人類のすべての「 意識 」は相違するだろう。

自意識も時間意識も空間意識も。

「 空間意識 」は後で書くが、どこまでを空間とするのは、個人の問題で、自分自体が細胞の集合で、「 物 」ではなく、「 空間 」であるから。

これらの「 意識 」は、人間が生まれる時には保持しているから、「 アプリオリ 」であるともいえる。

幼児は教えられなくても、空腹の時間を知っているし、手や足を伸ばせる空間も知っているからだ。

行動するときは、宇宙の気(ki)に直面し、表層意識に走った気(ki)が、「 時間意識 」と「 空間意識 」を、目的的に発生させ、過去の経験により「 時間意識 」として蓄積されていた「 運藤のエネルギー 」という自分に可能な気(ki)を現前させ、あるいは思い出すことにより、可能な運動を想起させると思う。

2017年9月 4日 (月)

無趣味の退職者 16 印象

では、脳の中に保存される「 印象 」とは何だろう。

知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を時間という道具を使い、「 相当因果関係 」として保存すると思う。

限りなく続く出来事を、自分のDNAで切り取り、始めと終わりを設定し、ひとつの「 物語 」として、保存すると思う。

これは、自分に関係するとして個人のDNAで始めと終わりを設定するから、「 見落とし 」や「 誤解 」もあるだろう。

これを原因として、理論体系が崩れ、この世は「 無常 」となる。

このため、科学が進歩し、哲学が崩れるのだと思う。

これら、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を「 物語 」として設定するから、「 エピソード記憶 」や「 非陳述記憶 」という区別もなくなり、すべて知覚(運動)した衝撃(エネルギー)の大小により、記憶の強さが違うだろう。

この「 印象 」を「 時間意識 」で結びつけ、「 時間意識 」という形式を取っているため、運動(知覚)するとき、「 過去 」の出来事から、「 現在 」「 今 」この瞬間に、一機に思い出すことができると思う。

自分が経験した知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を、今、この瞬間に発揮する。

知覚(運動)した衝撃(エネルギー)は、すぐ消えるが、「 物語 」は脳の中に残る。

これが、「 知恵 」であり、個人の内部にあって、客観的な「 知識 」とならない、自分だけの道具となり、「 可能性 」となるだろう。

夜、夢の中では、あり得ないことが起きることがあるが、脳が「 印象 」を勝手に結びつけているのではないかと思う。

このように、「 時間 」を区別せず、「 時間意識 」とすることで、脳の中に意識の形式を取って、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を保存するのだと思う。

これらを、人間が作ったAIが可能だろうか?

AIが「 労働 」して、知覚(運動)した衝撃(エネルギー)を得ることができるのなら、叶かもしれない。

2017年9月 3日 (日)

無趣味の退職者 15 記憶

自分が生きているのに必須である「 記憶 」について、我々は何を知っているというのだろう。
ネットで「 記憶 」について検索してみても、長期記憶とか短期記憶とか、あるいは脳のどの部分に蓄積されるかは知ることができるが、私は満足できない。
「 時間 」を、脳が関係づけるための道具と考えると、長期や短期という区別は意味がない。
私は、運動の過程から脳に受けた衝撃を「 印象 」と考え、その衝撃(エネルギー)を脳が蓄積し、それを整理し、関係づける接続詞のようなものが「 時間 」という意識(時間意識)であり、目覚めているとき「 印象 」を整理、蓄積し、睡眠する間に今まで蓄積した「 印象 」を結び、一定の運動エネルギーとして、海馬に蓄積すると思う。
「 時間 」は存在しないから、過去と現在と未来の区別は無く、存在するのは「 現在 」「 今 」のみで、過去や現在や未来、「 時間 」の繋がりではなく、個人の脳の内部に、運動により脳が受けた衝撃(エネルギー)を「 時間意識 」により「 印象の関係 」として有るのだろうと思う。
意識はDNAにより人類皆相違するから、時間も記憶もすべてが「 個人的 」であると思う。
すべてが「 個人的 」あるいは「 主観的 」であるのに、ある一定の「 時間 」や「 記憶 」があるというが、それも人間が定義したものであり、間違っていることもあると思う。
 
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