老人の話

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映画・テレビ

2018年7月 4日 (水)

映画の思い出(穢れなき悪戯)

趣味もお金もない老人の私だが、死んだあとにゴミを残さぬよう、断捨離をしていた。


ハードディスクも多少は持っているので、古いものを取り出して、整理にかかった。


映画音楽の動画もあったので、再生してみると、「 穢れなき悪戯 」の「 マルセリーノの歌 」が出てきた。



この映画は、田舎にいた私が、まだ小学校に在学中、文部省推薦として、「 穢れなき悪戯 」が田舎の映画館で上映されることになり、当時は流行りだった映画館に学校を挙げて映画鑑賞することになった。


ポルノまがいの映画も上映する所だったので、期待半分で出かけた。



内容はご存知のとおり、子供の純粋な思いが「 神 」につうじて、母とあうことだが、その時はなにも特別の感傷はなかったが、私が「 誕生から死後の意識 」をかくようになってから、「 神 」というものを考え、私が「 神 」をエネルギーとしたのは、この映画が原点だったかもしれないと思うようになり、日本の神仏習合とあわせて考えると、やはり、「 神はエネルギーである 」とおもうように」なった。



死んだ母に会いたいと一心の思って、神のとおりにすれば、神はエネルギーであるから、すぐにでもその姿を変えて下さり、母と合わせて下さる(死んでしまう)ことが可能なんだと、思うと近年になく涙が出た。



青少年のころ、何を見てどのように思ったのかは、その人が最終点を迎えるとき、いかに苦しみ、あるいは如何に楽になるかを決定するかもしれない。



そんな思いで、映画監督は、良質の映画を作って欲しいものだ。


金銭の「 儲け 」などに、目を奪われずに。

 

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