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日記・コラム・つぶやき

2018年4月19日 (木)

公務員は公務員、政治家は政治家

 

今日、セクハラ疑惑の福田淳一財務次官が辞職を表明した。

 

財務大臣の麻生氏は、彼を庇って「 被害にあった女性がわからないと、真相の究明が出来ない 」と言い、財務省も、弁護士もつけてやっているから、名乗り出て、調査に協力してほしい 」などと言っていたが、朝日テレビが、当社の女性記者が被害を受けていたと表明し、今日の辞任につながったと思われる。

 

男性は、財務省に勤める公務員のトップであるのに対し、女性は、彼らから情報を貰う女性記者である。

 

一方が強い力を持っているだろうことは、推測され、彼女は、最近、頻繁に続出する「 不祥事 」についての財務次官の見解を質問したのだろう。

 

私は、福田淳一財務次官が性欲を発散するために前述の行為をしたとは思わなくて、それらの情報はマスコミに流すことは「 森友学園問題 」や「 加計学園問題 」への財務省と政治家の関わりが、国民に知れると、安倍政権に影響すると、「 高度の判断 」の結果、話をしたくないことを知らせるため、女性記者への「 セクハラ 」まがいの行動に出たのだろうと思う。

 

しかし、その後、「 性的ないやがらせ 」とも取れる福田氏との会話を録音した音声データーを女性記者が提出して、辞任を覚悟したのだろう。

 

 

前にも書いたが、元地方公務員であったころ、「 記憶の限りでは 」次のようなことを教えられた。

 

A 公務員は全体の奉仕者であって、一部の者の奉仕者ではない

B 憲法はじめとする法律の順守

C 上司(上官)の違法な命令は、良心をもって従ってはならない

 

 

これに似たことは、公務員一般の職場で教えられると思う。

 

財務省には国家公務員上級試験をパスした、有名大学のエリートたちの集まりだから、こんなことは教えられなくても身についていると思われる。

 

安倍政権への影響を考慮して、情報を漏らさないことは、自民党を選んだ多くの国民のためだから、A)に該当する行為をしていると思うかもしれないが、あなた方の「 給料 」は全国民の税金で賄われている。

 

自民党を支持する人だけの為であるから、A)であるとは言えないと思う。

 

もしも情報を洩らすことが、公務員の守秘義務に反すると思うのなら、はっきりと相手に伝え「 セクハラ 」まがいの行為で、話をうやむやにするのはB)を順守する態度ではないであろう。

 

政権への影響を考えることが「 忖度(そんたく) 」ならば、公務員が国家の中枢の国会議員に対しては許されると、憲法のどこに書いてあるのか。

 

忖度(そんたく)が許されるのは民間人だろうが、政治家も憲法上では特別公務員だが内実は民間人だから、閣僚同士はそれができ、友達のためのすることも許されるのかも知れないが、公務員の部下に「 忖度(そんたく) 」させるような人物は中国の宦官(かんがん)をかかえる宰相のようなもので、国家行政のトップである「 内閣総理大臣 」には、その資質も品格も欠けると思う。

 

そんな人物を、その地位に据える自民党の中に、総理に相応しい人物がいないか、あるいは、代わっても同じ事をする人たちばかりなのだろう。

 

それが出来るようにするのが「 憲法改正 」なのか?

 

安倍氏は国家公務員上級試験をパスしていないから、そんな条文が記載されることも、彼の行動から判断すれば、あり得ないことではない。

 

 

 

では、公務員が、なぜ忖度(そんたく)するか?

 

私の経験からは、退職が近い上級公務員は、明日の暮らしの糧を「 天下り先 」に期待するしか能力がないから、それを左右する政治家に「 忖度(そんたく) 」し、自分の評価の点数を稼ぐのではないかと思う。

 

民間とは違い、公務員は「 複職を禁じられている 」から、年金しかあてには出来ず、子の為、妻の為、「 天下り先 」に頼ざるを得ないのが実情ではないだろうか?

 

福田氏の行為はA)にも違反し、B)にも違反していると思う。

 

では、C)の行為をした人が居ないのかと考えると、朝日テレビの女性記者が、公務員の代わりにしたのではないかと思う。

 

防衛省が「 不存在である 」と言ったイラクの日報が、存在していたことから推測して、財務省が弁護士を付けるといっても、名前ぐらいは、財務省に知られるだろう。

 

それから生じる不利益を覚悟して、財務省事務長がセクハラをしたと、朝日テレビに名乗り出たのだから。

 

「 ならぬものは、ならんのです 」と、違法なものは違法だと、自分の名前を晒して政府に真偽を調べさせようとしたのだから。

 

こうみてくると、国家公務員上級職のトップが、公務員としては為してはならぬことをし、公務員として為すべきことを民間人がしたと思いたくなる。

 

Webで調べると、自民党でも、ロッキード事件の田中や密約を交わして沖縄を返還させた佐藤のずっと前、石橋湛山のように、アメリカに嫌われながらも中国やソビエトとの国交正常化に尽くしたり、国民皆保険を目指し福祉国家を目指して「 閣議決定 」した政治家もいます。

 

(その後、日本を反共の砦とするためアメリカが望んでいた岸が首相になり、その家系に安倍晋三がいる)

 

そして、今や、政治家は「 シロをクロ 」にしたり、政治資金規正法で領収書の改ざんをやったり、妻子ある弁護士とホテルの一室に泊まりこんで「 政策 」の勉強する女性国会議員もいたり、妻が妊娠している間に「 浮気 」をする人や、妻がありながらハワイへ行って愛人と「 結婚式 」の写真を撮ったりするのは「 普通 」のことになっている。

 

ここでは、政治家は、特別公務員で給料を税金で贖われながら、本来の民間人の本領を発揮して、自分の欲するままに行為をしている。

 

 

だけど、公務員は、その政治家を真似て、公務において同じような行為をすべきではない。

 

国家公務員上級試験をパスして、エリートと言われる財務省の職員になったのは、将来は政治家のように、私利私欲を満たす為ではないでしょ?

 

もし、そうであるなら、即刻、公務員をやめて、岸を家系に持つ安倍とは違う、岸の前の首相だった石橋湛山のような、真面目な、政治家と称賛されるような政治家になりなさい。

 

早いほうが良いですよ。

 

税金も無駄にはならず、優秀な頭脳を持つという特色を持っている人ですから、すぐに仕事を覚えるでしょうから、民間には「 引く手あまた 」だと思いますよ。

 

2018年4月17日 (火)

国家公務員上級試験合格者は「 認知症 」?

 

安倍氏は、病気の際、「 下の世話 」を施してくれた安倍昭恵夫人と離婚してまでも、憲法改正(特に自衛隊)をしたいそうだから、今度の不祥事は目をつぶってやろうかと思っていたが、「 森友学園問題 」や「 加計学園問題 」に続き、福田事務次官(財務省)のセクシュアル・ハラスメントをテレビで視聴して、元地方公務員の無趣味の退職者として、国家公務員の上級試験にパスし、財務省に勤務している公務員が、いかに「 公務員倫理 」に反した行動をとり、そのトップは誰なのかに大変興味を持った。

 

私が地方公務員を退職してもうすぐ十年も経つから、今は公務員にどんな教育がされているのか知らない。

私は当時、次のようなことを教えられたことを思い出す。

 

A 公務員は全体の奉仕者であって、一部の者の奉仕者ではない

B 憲法はじめとする法律の順守

C 上司(上官)の違法な命令は、良心をもって従ってはならない

 

 

もちろん、「 忖度(そんたく)が必要だ 」など、教えられないし聞くこともないし、相手が地方議会議員であろうと、クレーマーであろうとなかろうと、普通に事務処理をしていたものだった。

 

公務員が、こんな便利な{ 忖度(そんたく) }が出来ると知っておれば、もっとスムーズに上司などの人の目を気にすることなく、愉快に公務員生活を送れたであろうと思う。

 

「 強いものに、媚びへつらうこと 」が「 忖度 」であろうが、民間ではあり得ても、公務のしかも国家の中枢機関で行われていたとは、恥ずかしながら今になって知った。

 

 

 

安倍政権のもとでの不祥事を少し考えてみた。

 

 

1、「 森友学園問題 」では、A)にもB)にもC)にも抵触するだろう。

 

ネットによれば、安倍昭恵夫人が問題の国有地を「 いい土地ですね 」と語り、学園を訪問した際に感動して泣いたなどと紹介した国有地を安価で買った籠池氏A)の発言を決済文書から削除して改ざんした責任者の国税庁長官B)

彼は、喚問された国会で、部下の責任とした。

 

C)に従いたいが出来なかったのが、自宅で首を吊って自殺した、大阪理財局の職員であるだろう。

 

改ざんは、理財局で書き換えが行われ、件数は14の決裁書に及び」、200箇所を超えるともいわれ、削除されたのは中山成彬衆議院議員ら数名の政治家と、安倍昭恵夫人の名。

 

安倍晋三首相の名前も、「 日本会議国会議員懇談機福会長 」として記載されていたという。

 

後日、ゴミの撤去と搬送が、いかにも事実であるかのように、財務省の官僚から、何台ものトラックが走ったというように指示があったというB)

大阪国税庁が事実と反するといって断ったのは正解だと思う。

 

国家公務員の上級職にあるこれらの官僚たちは、「 杉原千畝(すぎはら ちうね)」さんぐらい知っているだろう。

 

「 上級試験に出題されないから知らない 」のか!

 

外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、6000人のも及ぶ難民の命を救った人だ。

 

これが、C)だ。

 

政治家の顔色を伺い行動する官僚には「 良心 」などは無関心で、中国の宦官(かんがん)に似たような者だから、期待するのは無理かも知れない。

 

 

国家公務員の上級職の連中は、地方公務員の「 お役人 」より、精神的に不潔で劣っているのかもしれない。

 

2、「 加計学園問題 」

 

 

ネットを見れば詳しい状況は分かると思うが、文部省事務次官の前川氏が言っていたように「 総理のご意向 」があったことが、複数の箇所から疑われる。

 

ネットによれば、201542日、愛媛県や今治市の職員、加計学園幹部と、当時の柳瀬唯夫総理秘書官と内閣府の藤原地方創生推進室次長と面談し、担当職員が「 備忘録 」として記録した中に、柳瀬秘書官の「 本件は、首相案件 」などという発言があり、当時の柳瀬唯夫総理秘書官は国会で「 会った記憶はない 」と答弁したが、愛媛県知事が会見を開き、「 県庁職員は真面目な職員、しっかりと、報告のために記述したものであることは間違いない 」と明言した。

ネットによると、朝日新聞デジタルは、愛媛県知事が認めた「 備忘録 」の内容を公開した。

その内容は………

(加敬学園から、先日安倍総理と同学園理事長が会食した際に、下村文科大臣が加計学園は課題への回答もなくけしからんといっているとの発言があったことであり、その対応策について意見を求めたところ、今後、策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取組状況を整理して、文科省に説明するのがよいとの助言があった)

 

これがA)違反。

 

その後、安倍首相は

 

「 何か確証もつかずにこの国会の場において何か問題があったかのごとく、私と彼が会食、彼は私の友人ですよ。ですから会食もします。ゴルフもします。でも、彼から私、頼まれたことありませんよ。この問題について。ですから、働きかけていません。これはっきりと申し上げておきます」

 

しかし、愛媛県職員の「 備忘録 」によれば、加計理事長に獣医学部新設をめぐる下村文科相の動きを伝え、文科省対策をアドバイスしていた。

 

その「 首相案件 」の文書は、愛媛県職員だけでなく、獣医学部新設に反対の農水省で大筋が同じ内容の文書が見つかったと農林水産相が発表した。

 

 

 

これが、B)の違反ではないであろうが、首相としての品位や品格が劣るものの行動だろう。

 

 

 

私が思うのは、獣医学部の新設に反対する文科省や農水省を「 黙らす 」ために、「 首相案件 」なる言葉を戦争中の「 天皇陛下 」のように、使って私欲を遂げたのだろう。

 

内閣府は行政機関といっても、中にいるのは政治家や政治家を忖度する息のかかった職員しかいないだろうから、柳瀬なる男も{宦官(かんがん)}のように、政治家の顔色を伺い、「 善かれ 」と思って、地方の公務員に、私欲遂行の処理をさせたのだろう。

 

民間なら許されることかもしれないが、公務では、やってはならぬことだと、公務員試験を受けていないから、理解できないのだろう。

 

3、自衛隊のイラク日報の隠避

 

 

 

女性登用で、防衛大臣に稲田明美を任命したのはいいが、この人は、小泉内閣の郵政解散の時に、安倍晋三幹事長の目にとまり、政治家にスカウトされた。

 

稲田氏は、南スーダンPKO日報員隠蔽問題の責任により辞職したが、「 日報はすでに廃棄しており不存在 」の筈の日報が、「 情報公開制度 」により、日の目を見たが、そこには「 戦闘 」の文字が躍っており、政府がいう「 自衛隊が活動する首都のジュバ市内は比較的安定している 」とは正反対で、まさしく「 戦闘地帯 」に自衛隊を送り込んでいて、PKO法のも憲法にも違反している。

 

ットでは、防衛省の「 ずさんな文書管理 」としているが、実際は「 森友学園問題 」と同様、政権に都合が悪いから、防衛省に圧力が加わったのだろう。

 

圧力をかけたのは誰か?

 

それは、外国には「 良い顔 」をする安倍晋三が、自らスカウトした女性の稲田明美議員に圧力をかけたのは、「森友問題 」からも推測することができる。

 

4、共通するもの

 

 

これら不祥事に共通して言えることは、国家公務員の上級試験合格者は、「 記憶力が弱く 」、すぐに忘れる。

短期記憶を持てない「 認知症 」が多いことだ。

 

 

もしそれが「 高度な政治的判断 」であるならば、国民のためではなく、特定の個人への判断であり、国民を裏切り、故意の情報を隠匿し、自分の私利私欲のために、「 知らんぷり 」をすることで、どこかの国のように、「 賄賂 」は要求しないまでも、情報を賄賂代わりにして、浮世を渡る遊び人で、即刻、懲戒免職すべきだろう。

 

それをしないのは、安倍氏の「 お情け 」ではなく、自分も私利私欲のために公務員を利用しているから、あるいは、忖度が上手な上級国家職員を「 信頼 」するからであろう。

 

いずれにしても、安倍という人間が、原発問題で進展がないことや、自分の言葉とは正反対の行為をするのは「 民意 」をまったく考慮しない、戦犯の岸を先祖に持つ家系ゆずりの気分屋さんなのだろう。

 

 

これでは、「 政治家としての信条 」が泣くのではないか?

 

安倍ちゃん、あなた、ホントに「 政治家 」?

 

こんな人が、憲法改正だって???

 

笑わせるな!

2018年2月24日 (土)

「藤井聡太 新たなる伝説」の購入

2017年9月21日に株式会社・宝島が発行した「 藤井聡太 新たなる伝説 」を購入しました。
去年の9月発行ですので、購入した時期が遅く、「 男 」の写真集ですが、彼の活躍ぶりに堪らず、恥ずかしながら購入しました。
彼の写真とともに、インターネットテレビのabematy の番組編集の裏側の記事が面白かったです。
彼の笑顔は「 善人 」そのもののお顔のように思われ、おばちゃんたちが「 ガンバッテ~}と応援するのも無理はないと思います。
また、彼が見せるの他の多くの顔は、このブログのリンク集にある「 東海の龍 藤井聡太 」をクリックすれば見ることが出来ます。
 
「 藤井聡太 新たなる伝説 」
P1010859

2018年2月19日 (月)

2018年2月17日、藤井聡太、11回朝日杯優勝し、六段になる

おめでとう、藤井聡太さん。
何か書こうと思いましたが、Wikipedia が詳しいので止めます。
2018年2月17日、藤井聡太、11回朝日杯で優勝し、規定により六段になるとだけ書きます。
彼が住む瀬戸市や彼が通う杉本七段の道場や彼が飲食した街と私の住所は近いので、なんとなく親近感があります。
2月17日は土曜日でしたので、インターネットテレビ(abematv)で、始めから終わりまで観戦しました。
 
14歳2カ月でプロ棋士四段としてデビューし、15歳6カ月の公式戦で、同じ中学生プロ棋士になり天才と言われる羽生永世七冠を破り、中学生初の六段に昇段するなど、漫画でも描かれないほどの昇進で(漫画にするとウソになる)、天才と言われるのも当然です。
 
一年ほど前、非公式戦が終わったとき、国民栄誉賞を取られた羽生永世七冠が「 凄い人が現れた 」と言ったのも、このことを予知していたのかも知れません。
(藤井VS羽生は、非公式戦で1勝1敗)
 
 
「 歩はいつか金になり飛車はやがて龍になる 」
 
彼は「 歩 」ではなくて「 飛車 」であり、いまにも「 龍 」になりそうだということが、分かった日でした。
 
その日、名鉄新瀬戸駅で配られていた、地元、中日新聞の「 号外 」を手に入れましたので、披露します。
P1010845
P1010848
横向きでごめんなさい。
上が表で、下が裏です。
………………………………………………………
 
 
 
藤井聡太 Wikipedia
        ↓
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤井聡太

2018年2月16日 (金)

書を捨てよ自分で考えよう 4 「誕生から死後までの意識」に於ける課題とそれに対する私の解釈

付録を書いてもまだ分からないという女性の意見に答えまして、私が電子書籍に於いて課題と考えたこと、及びそれに対する私の解釈を書きたいと思います。

 

A) 発刊した動機と課題と考えたこと

 

私をカラオケに誘って頂き、飲食を共にした守山区の小林という市民係長が、60歳の定年を迎える前に肺ガンの末期で退職され、自宅療養で亡くなりになった事をきっかけにして、私はブログ「 好き勝ってな老人の話 」を立ち上げ「 自分探し 」をはじめました。

同ブログは、平成291231日を以て廃止しましたが、その総括が「 誕生から死後までの意識 」あるいは「 付録 誕生から死後までの意識 」でありまして、これは亡くなった市民係長への追悼の小説であります。

 

「 自分探し 」をする中で、1、上杉謙信の「 死中生あり 生中生なし 」や、2、ゴーギャンの「 我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか 」とか3、般若心経の「 色即是空 空即是色 」や4、キリスト教の「 カエサルのものはカエサルに、神のものは神に 」とか、5、空海の「 生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、 死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し。 (空海『秘蔵宝鑰』)」などという言葉に出会いまして、これらは、死に向かう人の言葉のように感じまして、これらを一連の言葉で解釈し直すことが、小林係長への供養になり、ひいては私の死への覚悟をさせてくれるのではないだろうかと考え、これを私の「 課題 」としました。

 

一連の物語にするために使った道具としての言葉は「 宇宙エネルギー 」と「 生命エネルギー 」と私の持論である「意識は電磁波の構造を持つ」という考えと、生気論の「 気(ki)」や西洋の思想である「万物は流転する」とか「 エネルギーは形を変えるが消滅はしない 」(エネルギー保存の法則)という考えでした。

 

それらを使い、上述の言葉を、とかく批判の対象となる日本の神仏習合(明治維新に伴う神仏判然令以前100年も日本に続いていた)のもとに一連の「 物語 」として構成しようとしたのが「 誕生から死後までの意識 」という電子書籍でして、これはあくまでも小説で、私の「好き勝ってな老人の話」というブログの総括、つまり「 自分探し 」の総括ですので、鼻で笑われても文句は言えないシロモノです。

 

B) 私の解釈

 

私の小説の中では、エネルギーと気(ki)は、同義です。

物語のあらすじは、生殖により、「 宇宙エネルギー(気(ki)) 」(自然エネルギーと同義)が生き物を生かす「 生命エネルギー(気(ki)) 」に「 形 」を変えて、生き物のDNAに応じて、電場が磁場を生むようにエネルギーが意識を派生させ、右脳から空間意識を左脳から時間意識を派生させて「 誕生 」し、その後、脳が自ら作った「 時間 」や「 空間 」という概念で、経験した衝撃(エネルギー)を出来事の「 因果関係 」という「情報」として保存し、深層意識に蓄積し、自分が今後生きるための、無意識で流れるものである「 能力 」とし、日々、流転する宇宙エネルギーの気(ki)に生命エネルギーの気(ki)を呼応させて、その気(ki)を意識層から無意識層に貫く時間軸である左脳と空間軸である右脳を通じて、これまで蓄積した、無意識で流れる自分の可能性である「 能力 」を呼び起こし、そして行動に至ると考えます。(意識は電磁波の構造を持つ)

 

 

肉体と意識との統合を「 霊 」と解釈します(人間が霊長類とよばれる)が、「 霊 」は人間が考えた概念であるという点で、「 意識 」であり、「 霊 」の目指す所は「 人格の完成 」であり、ブッダがその象徴でしょう。

「 仏 」がブッダで「 覚者 」や「 悟った者 」であると解釈しますと、悟ることは「 人格の完成 」と言えましょうが「 神 」(エネルギー)になったとは考えませんので、ブッダの思想である仏教には「 神 」になる教えは無いと考えます。

神風特別攻撃隊員を死地へ向かわせる際、その命を下す上司が「 死んで神になれ 」と言ったらしいですが、戦死すれば靖国神社の桜になるのではなく自分を産んでくれた故郷の自然エネルギーに戻ると私は思いますから、人間はすでに神の子とする私の本意ではないですが、「神」を自然エネルギーとするならば、その言葉は正しいということになります。

 

 

「 生命エネルギー 」から派生した「 意識 」は「文化」という違った形になり、生きている他者の可能性となりますが、「生命エネルギー」の終焉である死によって、意識と肉体からなる「 霊 」はその結合を解き、意識は文化として社会に残り、肉体は屍と「 宇宙エネルギー」(自然エネルギー)に分離し、前者は地球の土に、後者は地球を取り巻く「大気」に混じるだろうと思います。

私は「 宇宙エネルギー 」(自然エネルギー)を「 神 」と解釈し、日本の宗教である神道の「八百万の神」を自然エネルギーであると解釈し、神(自然エネルギー)と人間とを取り結ぶ場所が「 神社 」であり、人間は等しく神の子として生まれ、生存中は人格の完成である「 仏 」を目指すべきと考えます。

このように、神仏が習合したもの、宇宙エネルギーと生命エネルギーが一体となったものが人間であると思います。

今の私は「宇宙エネルギーの気(ki)」の結晶に過ぎず、台風などの「 現象 」と同じ「 現象 」であり、台風が消滅すればエネルギーに戻るように、現象である私も、死ぬことにより、私を産んでくれた「宇宙エネルギーの気(ki)」に戻るだろうと考えます。

 

 

C) 課題に対する私の解釈

 

この循環が、上述の2,4,5、の言葉の内容であり、1、の言葉はその経過を示すものと解釈しています。

ただ、もう一つの3、の言葉は、「 宇宙エネルギー 」(自然エネルギー)の循環であると捉えて、西洋のエネルギー保存の法則や万物は流転するという思想で解釈してみました。

この3、は「 存在 」(真理)を、脳の産物である「 時間 」が混じった「 実体 」の観察を通して認識することが可能であるかについて疑問に思うので、「 第四章、実存主義から得たもの 」の中で「 真理 」は生きている内には分からないかといえば、分からないだろうと書きました。

これらの解釈の様子は、電子書籍で該当箇所をご覧ください。

また、3、の言葉は「 般若心経 」の一節ですが、テレビなどを視聴しますと、山岳信仰に現れる山伏が、山岳が持つ自然の霊力を身に付けるため日本各地の霊山と呼ばれる山々を踏破し、山伏修行をする際、霊山の中に設けられた祠で唱える経文が「 般若心経 」であることは、古代の山伏たちも、その経文が自分も含んだ自然エネルギーを対象にしていると考えていたのではないかと、私には思えます。

 

私の力はここまでであり、皆様の力による更なる進展を期待しています。

注) この記事は、「 付録 誕生から死後までの意識」の「 追記 」に掲載しました。

2018年2月 8日 (木)

書を捨てよ 自分で考えよう 3

書、即ち本を読むことは、趣味でも修行でも何でもない。
それは、あなたが、自分自身の可能性を高めることであると私は思う。
可能性は、自分で運動(知覚も含む)が可能な事の広がり(間(ma))であり、可能なことが自分の行動であれば、空間意識、達成までの日数であれば時間意識が、前者は右脳が後者は左脳が主体になって認識し、前者は「 無限 」を、後者は「 永遠 」をその極限として採用するだろう。
しかし、これは「 意識 」であり、人さまざまに違うであろう。
幼いとき、こうすれば危ないとか、死んでしまうなど人体の可能性を教わるでしょう。
私は、学問も同じ可能性だと思います。
この可能性を、無意識の能力にするのが、勉強であり、経験であると思う。
なぜか?
それは、「誕生から死後までの意識」で書いたように、万物は流転し、万物は「 色即是空 空即是色」で、日々是、変化し、一度たりとも同じことはなく、(なぜなら、地球が既に自転、公転し、その宇宙に占める場所が違うから)、認識する「 因果 」は人間の脳が考えることを超越して継続し、人はみな、自分の可能性の中でしか、「 因果 」を捉えることしかできず、従って、固定した因果は、「 知識 」や「 意識 」としての「 それ 」であり、実際の内容は「 形骸化 」し、あなたが、自分の頭で、自分の可能性で「因果関係 」を再構築しなければならない。
実存主義でいう「 企投 」や、人生はバクチだというのも、これを指しているのかも知れません。
現実は、親や教師が教えた通りに、進まないと思います。
Doctor Xなどというスーパー医師のドラマがありましたが、医者と自分を分けるものは、人体の可能性を、その人がどのように形成して、無意識に自分の可能性にしているかどうかによります。
それが「 能力 」です。
「能力 」は日々の研鑽を伴わないと、衰えてゆくでしょう。
その無意識になった「 可能性 」即ち「能力 」を伴わないと、評判を落とし、名前だけの職業になるでしょう。
町に出るのも結構ですが、「 丸裸 」ではバカにされます。
世間は、自分より賢いのです。
町に出て、何も出来ないならば、町に出ず、学び舎の中に閉じこもっていればよい。
自分の可能性や能力を、町に出て、世のため人のため生かすための勉強が、大学での学問でしょう。
資格を取って検事や弁護士や政治家になっても、頭は抜群によくても、「 今の政治家 」のように、行為が「 不倫 」や汚職であれば、頭は一流大学の賢い人は本当でしょうが、世間からみれば、ズル賢く、保身に走る利己主義者であるように見え、その結果、「 俺でもやれる 」と思うようになり、政治家がバカにされて信用を失うのも当然でしょう。

2018年1月26日 (金)

書を捨てよ 自分で考えよう 2

私が、なぜ「 書を捨てよ 自分で考えよう 」というのか?
書、つまり本を読むことは、「誕生から死後までの意識」」で書いたように、本に書かれているのは、その本の著者の可能性であり、死んだ可能性であり、その本で勉強するのは、その人の死んだ可能性を自分の可能性に生かすことであり、それが済んだら書、つまり本を捨てなさいということです。
なぜ捨てるのか?
それは、「誕生から死後までの意識」で書いたように、あなたが直面する現実は、万物は流転するから、状況はすでに変化してしまっていて、しかも本に書かれている「因果」は、その著者が捕らえた「因果関係」であり、その人だけの「因果関係」で、再びあなたが「因果関係」を捉えなおし、本に書かれている「物語」を変更しないと、現実には使えないと思うからです。
歴史書を読めばわかるように、著者に都合の良い所を取り出して「物語 」を書くために、事実から反したことがいっぱいあります。
そんな書、つまり本を、あなたは信じて、後生大事に保管するのですか?
子孫に残すことも必要でしょうが、事実に反した書を読んだ子孫は事実から目を離すかもしれません。
だから、「 書を捨てよ 」というのです。

「 自分で考えよう 」というのは、「 誕生から死後までの意識」で書いたように、人間は考える葦であり、自分で創造することが、「 自分が生きる 」ことなのです。

どのような本をコレクションとして持っている、とか、どのような大学を卒業したかなどは、お金持ちの証明であっても、人間としての人格を持ったという証明ではないことは、「 今の政治家の行為 」を見れば良く分かると思います。
高学歴の政治家の不倫や汚職のスキャンダルなど、その人の学歴と行為が如何に違うものかは、あなたも分かるでしょう。

 
同類ならば、分からないかも知れませんが。
 
 
 

2018年1月 1日 (月)

書を捨てよ、自分で考えよう

昔(1967年)、寺山修司が「 書を捨てよ、町へ出よう 」という評論集を志賀書店から出版しました。
現在、Amazonで、角川文庫からの出店ですが、Kindle版は375円、文庫本は555円だそうです。
私は読んだことも、映画をみることもしていないので、それがどういう意味なのかは分かりませんが、ネットによりますと、「 あまりに勉強しすぎると物事を固定的にしか見られなかったり、あるいは学んだ内容の中から答えを探す癖がついてしまいます。」とういうことらしいのです。
私は、「 誕生から死後の意識 」の中で書きましたように、「 今 」という地球の自転により直面する事態をどのように打開するか、その可能性(自分が出来ること)は何かを探して対処するしか、方法は無いと思います。
「 書 」とは何か?を考えると、それは先人が残した「 その人の可能性 」であり、その可能性をくみ取って「 私自身の可能性 」にしていなければ、「何冊、本を読んだ」とか「 趣味は読書 」とか「 家の書棚には5千冊の本がある 」といっても、「 は? それで、この事態にはどのように対処するのですか 」と聞かれたら、どう返答するでしょう。
「 書 」は「 知識 」であり、現実は本の当時と違うのですから、その意味で「死んだ可能性 」にすぎません。
「 死んだ可能性 」を「 自分の中に生きている可能性 」にすること、即ち、「 知識 」を「 知恵 」に変換していなくては、「 書 」を幾ら所有していても、「 お金持ち 」の範囲を出ません。
「 書を捨てて、考えよう 」というのは、自在に変化する存在に合わせて可能性を組み替えることであり、各自の「 独自性 」こそ、著作権に守られ、人類に貢献するものだと思います。
「 人間は考える葦」であり、権力の権化である、ユリウス・カエサルも「 学習より創造である。創造こそ生の本質なのだ 」と言っているように、「 自分の考えを貫き通す 」ことこそ必要ではないかと、私は思います。

2018年の年頭のあいさつ

新年あけましておめでとうございます。


私は、本年で69歳になり、趣味の一環として、ブログで日記をつけることにしました。
いつ病気になり、いつ神に召されるかわかりませんので、いつまで続くのかわかりません。
本当なら、昔の高僧のように、死期が近づいて来たのがわかると、土深く埋めてもらい、念仏を唱え続けるのが理想ですが、あいにく私には出来そうにありません。
ですから、作者不明で、このブログが残ってしまうかもしれませんが、できるだけ意識があるうちに閉鎖することを心がけます。
それまだ、皆様、どうかよろしくお願いします。

元旦

2015年1月25日 (日)

2015/1/24、徳川美術館の徳川園・冬の牡丹

天気が良かったので、徳川美術館の中にある徳川園に行きました。

そこでは、2月22日まで、冬の牡丹を展示していました。

牡丹は春に咲くと思っていましたが、ここでは手入れした冬に咲く牡丹を育てていました。

写真を撮りましたのでUPします。

徳川美術館 入口

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徳川園の池には鴨がいました。

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次は、冬の牡丹です。

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