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2019年6月13日 (木)

69歳になって考えること 再考 「 空なる我 」その11 「 空なる我 」になる

検索エンジンに「 空なる我 」と入力しますと、私が以前「 私の進路 14 「空なる我」になる 」という記事がトップに出てきます。

これは、私が書いた記事の内容を、現実の私の生活の中で、どんなふうに活かすのか?についての疑問のように思われます。

なにせ、お釈迦様が説かれた「 無我 」を「 空なる我 」と置き換えたのですから、「 やれるもんなら、やってみろ 」と言われているようにも思えます。

私も、そんなことを言っておきながら、何をどう考えて、私の生活の中で、「 空なる我 」になった生活をすべきなのかは、分かりませんが、私が言う「 空なる我 」とは、「 無我 」といって自分を全否定するのではなく、「 自分の誕生が、いつから始まったのか 」を考えたとき、(神仏)エネルギーが母親の中に何時、どうして宿ったのかは分からないが、宿ってくれたエネルギーのおかげで自分が生きていることは否定されたくなかったのです。

それは、例えばH₂Oという水の構造のように、物をひき寄せて結合させて物を形作っている「 力・エネルギー 」が自然の物にあるならば、私が自然界の現象であるから私にもあるだろうと考え、「 煩悩を正しく引き付けて生きている 」ことを考えて生きるのが「 空なる我 」を活かして「 空なる我 」になった生活であると、現在は、自分勝手に考えています。

私は69歳で、何年続けれるのか疑問ですが、その自分勝手な考えをこれから披露してみたいと思います。


私は、生死の事は宇宙(自然)エネルギー(神)の存続次第であるし、生き方は生命エネルギー(仏)の統御の仕方であり、今の私は「 神 」といえば、日本古来の神道の「 神 」ではなく、日本に古来からおわす「 やおよろず 」の神であり、それは万物に宿り「 現象 」として現れる、数えきれない無限のエネルギーであるとしまして、「 仏 」とは模範的な人間の生き方として、お釈迦様の教えではないかも知れませんが「 空 」を中心とした大乗仏教の流れの生き方をしたいと思っています。


「 空なる我 」になる事は、人間ですからエネルギーそのものになる事は出来ません。


呼吸を止めたり、眠らなかったり、食べなかったりと「 煩悩 」の中で生きなくては生存することは出来ず、自然エネルギーを取り込んで助けて頂きながら、生きるのですが、そのエネルギーが現実に現れた姿形が「 自我という現象 」であると思いますから、その「 現象 」のなかにエネルギーをどんな形に現す「 自我 」になるのかを考えます。

逆に言えば、私の記事や日々の行動などが、(神仏)エネルギーの現れで、私が何を言おうが、事実が私の「 自我 」であると思います。


その中で「 空なる我 」を生きる事ですが、前回の「 浄土真宗 」の話で触れたのですが、「 空 」である「 阿弥陀仏 」の「 引かれる方向へ何も考えずに従う 」のが、「 空なる我 」を生きる現象になることで、天体が持っている「 引力 」のようにその力が「 空なる我 」ですから、「 空 」である「 阿弥陀仏 」という生命の根幹の力(エネルギー)に従う事が、「 生命エネルギーの現象 」であると思います。

ただ、これは、浄土真宗の特権なんかではなく、各自が魅力を感じ、「 引力 」を感じる宗教であれば、各自にとっては同じ事情であるし、どんな宗教を選ぶのかは自由で、その宗教が信奉するエネルギーが自分の引力と合致するなら、それが、あなたの「 空なる我 」を生きる事で「 生命エネルギーの現象 」であると思います。

ちょうど、結婚する時に相手の持つ「 魅力 」に魅かれて結婚して、子供という新たなエネルギーを頂くように、相手の(神仏)エネルギーと合一するのが「 生命エネルギーの現象 」であるかも知れません。

ただ、最近は「 子の親殺し 」や「 親の子殺し 」など、神仏から頂いたエネルギーの現象を、ちょうど「 自殺 」を肯定するように、さも、「 自分が創った作品 」のように扱う人が増えて来ました。

新たなエネルギーを頂く前に、「 空なる我 」が魅かれる「 相手 」との結合が間違っていた場合に悲惨な結果になるのは、東日本大震災の原子炉を設置した時の被害のようになることも同じで、何も結婚相手の選択と、社会政策の選択などとの違いはないと思います。

「 一切皆空 」で、人間の手で「 空 」である「 エネルギー 」を生滅させることは出来ませんから。

ですから、本当に「 空なる我 」が「(神仏)エネルギー 」と合体する選択を求めれているのは、私の「 空なる我 」による生き方を問う事に限った事ではなく、エネルギーの「 現象 」そのものを、どのように扱うのか、あなたにも問われているように思われます。









(6月13日)

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