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2019年6月 9日 (日)

69歳になって考えること 再考 「 空なる我 」その10 浄土真宗

私は、無論、僧侶でもなく学者でもなく、毎日をユーチューブを拝聴しながら、残り少ない余生を潰している年金生活者です。

今日、『 親鸞上人の「 正信偈 」・「 歎異抄 」を解説します 』という動画と出会い、この際、手っ取り早く、自分の宗派である「 浄土真宗 」についても情報を頂こうかと思い拝見しました。

それによりますと、日本に伝わったのは、中国経由の「 大乗仏教 」で、お釈迦様が説かれて、東南アジアに広まった「 悟り 」を中心とする小乗仏教に比べて、お釈迦様の教えの中に「 救い 」を求める傾向が強いらしいです。

それは、「 龍樹 」氏が説いた「 空 」を中心とするのが大乗仏教ですから、「 宗教 」といっても「 慈悲 」などの点では違うと思います。

日本に伝来して各宗派に別れていて、その全部を合わせなくてはならないとは思いますが、自分の宗派がどんな指導をしているかぐらいしか分からず、この動画で「 浄土真宗 」を学ぶことにしました。


これは、昼間に拝見した内容を書くのですから、間違いに決まっていると思って読んでください。

動画によりますと、「 正信偈 」は「 アミターコス 」(永遠の時間=無量寿如来)と「 アミターバ 」(限りない光明=不可思議光)がひとつになったのが、お釈迦様が亡くなった後に設定された「 阿弥陀仏 」であるらしいです。


ですから、お釈迦様が「 阿弥陀仏 」を考案されたものではないらしいのです。


これを、私の立場から当てはめますと、前者が生命エネルギーで、後者が宇宙(物理)エネルギーとなります。


私は、その二つがどのように連結するかを知りたいのですが、私の推察では、チベット仏教の死者の書にあると思いますが「 中有 」という霊魂が、その二つの結合体だろうと思っています。

それがエネルギーとなって、「 浄土 」から輪廻転生するのだと思います。

そう考えることによって、お釈迦様の考える「 四諦八正道 」や「 十二支縁起 」と結びついて、「 善因善果」、「 悪因悪果 」という「 人の道 」に合流できると思うからです。

ですが、親鸞上人は「 善人も救われるのだから、悪人も救われる 」と言われ、悪人と呼ばれる人は自分が悪人で地獄に落ちると自覚しているがため、それに気づいていない善人より早く「 浄土 」に行けると説かれるため、第二次世界大戦で死地に赴く若い学生が、懐にこの「 歎異抄 」を隠し持ったのは、人殺しの良心の呵責から阿弥陀仏に救いを求めたいためだったのでしょう。

阿弥陀仏のおわす「 浄土 」には善人でも悪人でも行ける所ですから、「 浄土は汚れなき極楽 」と考えるのは違って、生命を発生させる場所であり、その生命も阿弥陀仏から見れば、人間や動物や昆虫や鳥など「 現象 」である「 姿形 」は等価で、何に生まれ変わるのか分からないと思いますから、自分がまたあの世から輪廻転生すると期待することは、阿弥陀仏の仕事を自分の手にすることで、許されず、なるがままになるしかないと思います。

ですから、生物一般に共通する「 無明 」と言われる(仏)エネルギーである「 無量寿如来 」になるだろうくらいしか想像することは出来ません。

また「 不思議光 」ですが、「 無量寿如来 」の活動を続けさせるのですから、後者が輪廻転生を繰り返す生命エネルギーであるなら、前者は、その活動を可能にする宇宙(自然)エネルギーですから、「 地球 」や「 太陽 」や空気(kuuki)などの環境エネルギーであるかも知れません。

浄土真宗は、自分に命として宿って頂いている「 阿弥陀仏 」に「 南無阿弥陀仏 」と念仏をして、感謝をするのですが、本来は「 大乗仏教 」という「 宗教 」であって、お釈迦様が、「 自我 」を「 無我 」として「 苦 」から逃れて楽えお与えるという「 慈悲 」の気持ちで仏教を始めれたとしたら、ただ「 阿弥陀仏 」に感謝することで終わることなく、「 阿弥陀仏を空と考え 」、自分が「 空 」に成り切って、「 慈悲 」を施すことによって、阿弥陀仏の手助けをすることによって、感謝を表すのが「 プロとしての僧侶 」の仕事ではないでしょうか。

人間として生まれた以上は、煩悩を持ち、悪人にでも善人にでもなるでしょうが、殺人などの悪人がする行為をした人も「 浄土 」に生まれるのですが、殺人も許すのはお釈迦様の教えに反すると思います。

芥川龍之介の動画で、人間界を離れて仙人になろうとした杜子春が、馬の形に変えられた死んだ父母が鬼によって引き出され、もう死のうとするころ、馬に変えられた亡くなった母親が「 あなたが幸福になるなら、私たちはどうなってもいいよ 」と言った途端、杜子春は「 お母さん 」といって人間界に引き戻されたという話がありますが、人間である以上は、親子の情はあると思いますが、統治者はそれを利用して「 思想 」を「 転向 」させたり、あるいは、父母を戦火から守るためといって軍隊に召集することもあります。

その時、浄土真宗は「 宗教 」として、自分が死ぬことと戦火で苦しむ親を思う情で悩む青年を救うことが出来るでしょうか?

「 非国民 」と罵られている人をどのように救うのでしょうか?

「 南無阿弥陀仏 」と唱えて死んでゆけとでも言われるのでしょうか?

私には、分かりませんが、「 人はみんな(神仏)エネルギーのひとつの現象 」であるならば、統治者も召集される若者も、同じ「 現象 」であり、ドイツのカントも言うように「 人を道具として使ってはならない 」のであり、その方向に自分の力を注ぐのが、その若者にとっての「 慈悲 」になるのではないかと思うのです。

それを、僧侶に期待して良いものかどうか、私に自信はありません。



参考 ユーチューブ 『 親鸞上人の「 正信偈 」「 歎異抄 」を解説します 』

          『 法話 杜子春が「 お母さん 」と叫んだとき 』

 





(6月9日)

 

6月10日、 追記

 

上記のように「 阿弥陀仏 」は、無量寿如来(生命エネルギー)と不可思議光(宇宙・自然・エネルギー)がひとつになった仏ですから、「 空 」を知るとは、自我も含めた一切の知識を捨てて(一切顛倒夢想)、「 涅槃 」を求めることですから、自分の力(自力)の有無を問わずして、「 阿弥陀仏 」がおわす「 浄土 」に生まれたいと思うだけで、浄土に生まれる。

 

悪人、善人を問わず「 阿弥陀仏 」に「 帰命 」するだけで、浄土に救ってやろうとされる阿弥陀仏の力(他力)により救われるということで、その「 他力 」は「 阿弥陀仏の本願 」なので、「 他力である阿弥陀仏の本願 」に縋ろうとすれば、「 浄土 」に迎えられる(他力本願)と思いますが、そこは生前の知識による「 地獄 」や「 天国 」の考えなどには及びもしない所でしょうし、地上の全生物の命が生まれる所なので、私は、「 無明 」というエネルギーの世界であって、生命を受けるとき、チベット仏教の死者の書にあるような「 光 」が現れるかも知れないが、必ずしも「 人間 」に生まれることを保障するものではないと思います。

 

人間として生きているうちに、「 阿弥陀仏 」に従って、ひとつでも「 慈悲 」の行為を求められるのが、「 阿弥陀仏 」を理解した僧侶なのではありませんか?

 

 

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