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2019年6月 6日 (木)

69歳になって考えること 再考 「 空なる我 」その6 般若心経の解釈2、「 無 」の独自解釈

「 般若心経の解釈その1 」は、ユーチュブでの解説に、「 空 」はエネルギーであることで焼き直したもので、オリジナルとは言えないでしょうが、この「 無 」の独自解釈は、今までの誰も書き表した事がないもので、奇妙な考えですので賛同は期待していません。

<私の独自解釈>


般若心経を読んでいますと、「 不増不減 」までは「 不 」が使われていて、「 滅しない」「 垢れない 」「 浄からず 」「 増さず 」「 減らず 」など「 不 」が使われ、その後は、「 空(エネルギー)の中には 」、「 無色無受想行識 」「 無眼耳鼻舌身意 」「 無色無声?香味触法 」………と「 無 」が使われています。

私は、前者の「 不 」は「 そうではない 」という否定の意味に使われていると解釈しますが、後者の「 無 」も同じように、否定の意味に解釈すべきかを問題にします。

私は、以前、「 無 」と「 無限 」や「 ゼロ 」のことを書きましたが、この後者の「 無 」を「 空(エネルギー)の中では発生していない 」、「 空(エネルギー)の現象としてそれらの五蘊が生じる(無から有となる)のであって、空(エネルギー)をそのように規定することは出来ない 」というのではないかと思うのです。

以前、私の持論で「 意識は電磁波の構造を持つ 」でかきましたように、(神仏)エネルギーであるDNAで決まられた頭脳の回路を巡って活性化するのは気(ki)というエネルギーであり、その過程で「 意識 」が派生すると考えますと、「 五蘊 」である五感という機能やそれによって得られるものすべては、「完全な均衡」である「 無 」を乱してそれらを「 有 」とするのが「 空(エネルギー・神 )」は動物が持つ生命維持に応じるように「 空(エネルギー)」を働かせるのであって、人間はそれを、「 五蘊 」に区別しているにすぎないと考え、「 五蘊 」のための「 空(エネルギー)」があるのではないと言っていると解釈するのです。

そんなことは、空(エネルギー)にとっては迷惑なことであり、その空(エネルギー)が働いた結果の人間を、超能力を持った人であるというのは、人間の勝手であり、そんな超能力を持つ人の再来を待つ事など、迷惑極まりないと空(エネルギー)はおもうでしょう。

 

「 ゼロ 」の観念を生んだとき、その「 ゼロ 」である「 無 」は「 無限 」であり、空(エネルギー)の中には、「 五蘊 」として現象する機能は、「 数えきれないほど 」有るともいえるし、まだ発生していないから「 無 」であって、「 五蘊 」を超越するエネルギーを与える事も可能なのだという意味に解釈するのです。

その実益

人間の機能をすべて空(エネルギー)が現象として現れたものとすることによって、他の動物の機能も空(エネルギー)が現象として、この世に現れたものとしては、同質とすることは、人間を他の動物に生まれ変わらせることが出来るから、人間から他の動物へと、他の動物から人間へと、相互に転生することを可能にする。


こうして、頭脳を持つ、あるいは持たない、精神を持つ、あるいは持たないを区別することなく(=それは全て空(エネルギー)、多種の動物間の中に転生することが、生命の主である「 阿弥陀仏 」には可能とすると解釈する余地を残したのだろうと考えることが出来て、人間が死んだら、同じ種類の人間に生まれ変わることを意味するものではない。

言い換えますと、「 阿弥陀仏 」の前では、生命を持っている点で平等であり、国や民族や、あるいは人種が違おうが同じであろうが、「 生きている 」ことには変わりがなく、人間の相違はまったく生まれ変わりの宿命のもとには等価であり、どのような生物に生まれ変わるかは、「 阿弥陀仏の意図 」に従うことになって、もはや生まれ変わりもせず、あるいは生まれ変わったとしても、この平和な世界に生まれることも何も保障されず、阿弥陀仏の考えに従うことになると思います。

つまり、死後に転生するとしても、同種の動物に転生することを保障するものでなく、阿弥陀仏の導きの「 空(kuu)」の現象として現れるままに、精神を持たない下等動物にも生まれ変わることもあることを、言外に示しているとも思われます。







(6月6日)

 

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