老人の話


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2019年1月 2日 (水)

69歳になって考えること  新年おめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

このブログを見て頂いている皆様が、今年も健やかに過ごされますようお祈りいたします。

幸いにも、まだ、「 南海トラフ地震 」に見舞われていません。

今年は、この地震を睨みながら、このブログを続けてゆきたいと思います。

この地震が列島を襲えば、日本経済は麻痺し、世界で最貧国となるだろうと言われています。

そうなれば、日本憲法の生存権から来る年金制度も破綻し、私たち年金で生きている老人の生活はいっそう苦しいものとなるでしょう。

列島には数多くの原子力発電所があり、運転をやめている所もあれば、再稼働をしている所もあり、政府はエネルギーバランスといって、民意である原発廃止を軽んじて、政財界のいうがまま、安全であれば再稼働する方針だろうと思います。

浜岡原発をはじめ、太平洋に面した海岸に稼働する原発も多くあり、立地条件である活断層の有無について、充分に検討されないまま建設されたものもあります。

原発は原子爆弾どころか、その数十倍の破壊力を持っていますから、隣国からの通常ミサイルでも十分に破壊可能だろうし、現在心配されている巨大地震による倒壊の結果も、同じように、周囲あるいは海へと、放射能が漏れて、人間が住めなくなることは十分に考えられることであり、それを政府は考慮のはずであり、前回のように「想定外」という言い逃れは、民意を無視して原発を再稼働した政府に対して国民は黙ってはいないでしょう。

そんな被害が発生すれば、「原爆Tシャツ」を着ていた愛国者は、原爆や津波の被災者を見るのが大好きですから、被災した日本に対して、東日本大震災の時と同じように、小躍りして喜ぶことでしょう。

なにせ、人の不幸をこよなく喜ぶ人たちですから。

そんな輩と一緒の日本ユニシス協会にも期待は出来ませんから、アメリカがユニシスを脱退するのも頷けるような気もします。

日本はユニシスへの分担金も払えなくなり、脱退するのかもしれませんが。

この巨大地震が日本を見舞うのが確実とされているので、東京オリンピックが無事に開催されるかは不明ですし、ユニセフが如何に世界遺産を認定してくれようと、ここ数年、地震が襲うまで外国の人たちは、来日を控えたほうがよいでしょう。

なにも死ぬために、わざわざ日本に来ることはないのです。

自分の国にも、ユニシスが指定する世界遺産なんかより遥かに美しく、自国の愛国心を高める自然は必ずあるはずです。

そんな自然を見出して、自然を大切に守っておれば、それは神様(エネルギー)の現れですから、人間が及ぶことが出来ない自然美をきっと発見できるはずですし、発見しようとする心が愛国心ではないだろうかと思います。

自国の自然美を保全しながら、自分たちの子や孫が同じ感動を受けるように、自然を保全するのも立派な愛国心だと思います。

なぜなら、ある仏教僧がいうように「自然は浄土」であるなら、死んだあなた方の霊魂(?)が戻るのは自然の中にでしょうし、自然を守ることは戻っている先祖様を敬うことであり、かつ、自分の死後に戻るところなので、自然を守ることは、自分を愛することにもなると思うからです。

こうして、巨大地震は経済や自然美といった人間が勝手に認定した人工物をすべて破壊し、ゼロの状態にするのがそのエネルギーの使命ですが、これが「 無常 」であり、自然の営みであると思いますが、もし生存が許されたときは、「色即是空 空即是色」による「 無常 」の考えにより、どんな悲惨な状況の自然の中にも、来るべく未来への「 芽生え 」がきっとあるはずであり、悲惨な場面に遭遇して「 無情 」というマイナス思考をするのではなく、「 無常 」というプラス思考の頭に切り替えて生きる方向で暮らすほうが楽しいのではないかと思います。

人間は「 散る桜 残る桜も 散る桜 」でして、どんなに経済力に格差があろうとも、だれもが死を迎えるということは、神様(エネルギー)から平等に与えられています。

自然は、プラスでもなければマイナスでもなく、地震から与えられた自然災害をどの方向に捉えて、いかに生きるかは、各自の思考に任されているのであり、それを課題にすべきだと思います。

今年、頂いた年賀状のなかで「 オレ、癌だった 」というお知らせをして来た人もいます。

死に接する年ごろになりましたので、そろそろ「 死 」のことも考えておかないと、死期を悟るのか人目を避けて黙って死を迎える「 猫 」に笑われないとも限りません。

あとに続く、子や孫が、親の死生観を参考にして自分が死を迎える時の「 苦 」から逃れるように、死にゆく自分の死生観をノートに書き残すなりしてやるのも、先に死を迎える親の子への愛かも知れません。


なにせ、人間である以上、「 散る桜 残る桜も 散る桜 」という宿命は、親も子も同じですから………。






(1月2日)

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