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2019年1月 4日 (金)

69歳になって考えること 私から見た「アドラー心理学」1、目的論

最近、ユーチューブで、「100分で名著「アドラー心理学」}という動画を拝見しまして、私はこれをどのように解釈して受け入れるかについて考えました。

ご存知のように、私は法科の大学卒で、しかも三流大学で、「心理学」などには、まったく無縁の生活でしたが、私の「 誕生から死後までの意識 」で触れましたように、「記憶」や「無意識」などには少し違った考えをもっていますため、この「アドラー心理学」に触れないわけにはゆかず、これを糧として、私の考えを整理が出来ればと思っています。

この「アドラー心理学」について、動画を拝見していますと、現在における「 過去 」や「 未来 」と「 自分 」をどのように考えるかで、フロイトやユングやアドラーの心理学を選ぶのではないかと思います。

医者のように、患者の人生を観察や分析したり、夢診断に興味がある人はフロイトを選ぶかも知れないし、社会学などの無意識に興味がある人はユングを、そして「心理学」を自分が人生を送るときの道具にしたいと思う人はアドラーを選ぶのかも知れません。

これまでの私は、フロイトの本は分厚過ぎて読む気になれなかったし、ユングの「クラウド」のような無意識も同感が持てず、自分なりに仏教の「末那識」や「 阿頼耶識」などを参考にした意識を考えていて、アドラー心理学は知りませんでした。

今になって、本ではなくて動画を拝見した印象では、この「アドラー心理学」につて知っていたら、もっと楽に、「 時間意識」と「空間意識」や「記憶」を思いついたかも知れません。

もう一つの動画である「アドラー心理学入門」の中に、アドラーは目的論、課題の分離、共同体感覚を主体に論じているらしいです。

まず、第一に考えるのは、彼の、「 目的論 」についてです。

私は、「あるのは地球の自転によってもたれされる今だけであり、過去や未来は意識だろう 」ということを、「 意識は電磁波の構造を持つ 」で書きましたように、左右の悩により時間意識と空間意識を作り出し、「 記憶 」とは、「 今 」から過去に経験したことを(生理的な電気で探って)「 阿頼耶識 」から「 末那識 」に引きずり出すことであり、長期記憶や短期記憶の分類を無意味とし、「 意識から運動可能性という無意識 」を身体に流すことによって行動するという立場から、この「 目的論 」を考えます。

フトイトの原因論から現在や未来の行動をする私にとって、選択範囲が狭く、プラスでもないし、マイナスでもない「 今 」を「 過去に縛られて」マイナスに考えがち(マイナス思考になりがち)になるのではないかと思います。

「アドラー心理学入門」の動画では、「過去から現在に一直線に進む運動 」で、アリストテレスの「 キーネーシス 」という考えの延長らしいです。


(詳しくは、動画を見るなり、図書館で調べてください)

一方、アドラーは「 今・この瞬間で刻々と変わる運藤」で、「 今・この瞬間が重要 」というこれもアリストテレスの「 エネルゲイア 」という考えの延長で、今、この瞬間で今の時点で、過去の意味付けを変えて、自分がその方向な変わることにより、これからの自分の人生を変えることが出来る。

「 今、この瞬間から自由だ 」と主張されるようです。

私の考え

私は、基本的に、アドラーの「 過去 」の意味付けと、自分を変えようとするプラス思考には賛成しますが、どのような目的に自分を変えるかは、自分の生き方という哲学になりますので、アドラーとは違った「 今 」の解釈になるかも知れません。

私の立場は、「 色即是空 空即是色 」から来た万物はエネルギーの化身であり、時間意識や空間意識」で捉える人間の認識は、言葉でどのように表現しても「 存在」、「エネルギー」を規定し尽くすことは出来ず、どこかで妥協し現実化してしまおうという「無知 」のため、例え心理学であっても、自然物である自分の行動を決定することは出来ないだろうと思います。

つまり、「 万物は流転する 」し、「 常なるものは無い(無常)」であり、「 当然、自分も流転している 」から、自然災害に絶望することも間違いで、自分を変えるのにアドラーがいうような「 勇気 」は必要とせず、ただ、自然の中に未来への「 芽生え 」を発展してゆく、つまり「 無常の心 」で自然物である事物を見て、自然のエネルギーの流れに沿って、自分の「 無意識 」を流してゆくと「 苦 」が少ない生活を送れると思いますので、目的を立てれば「 思うとおりにならないという意味での苦」が生じるだろうし、何か目的を立てて行動するというより、毎日を絶望しないで生きる方が、永遠の目的になるのではないか、とも思います。

目的は自然の流れの奥にあるものであり、自分が目的を設定して、目的どおりに行動して人生を変えるという自信はないのです。

自分が変われば、人生が変わることが多いでしょうが、自分を変えても思うとおりにならず、「 苦 」に陥ることも考えると、「 アドラー心理学 」さえマスターしておけば、人生に怖いことはないというのは行き過ぎで、学問はあくまでも道具であり、自分の目的を立てるなら、慎重にすべきだと思います。

目的を立てずとも、すべて学問は学問であって、生の自分の人生には、その学問を「 自分の可能性 」として、何時、如何なる場合でも、発揮できたと、死ぬときに思えたらそれでよいとも考えます。



はからずも、去年、書いていたような「 書を捨てて、自分で考えよう」に戻ってしまいました。

心理学に頼るだけではなく、「 無常 」の目で、この世の中に、自分の可能性を見ることも忘れてはいけないと思うのです。

一年経っても、なかなか前進できません。

願わくば、「 猫 」のように、黙って人知れずこの世から去りたいものです……。








(1月4日)

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