老人の話

日本ブログ村

無料ブログはココログ

« 無趣味の退職者 69歳になって考えること 6 | トップページ | 無趣味な退職者 69歳になって考えること 8 »

2018年10月 6日 (土)

無趣味の退職者 69歳になって考えること 7

始めに、

私は、田舎のおばちゃんが言うように、自分の人体も含めて自然の中に神が宿っていれば、仏も宿っていると考えますから、無神論といえば無神論であり、一切万有は神であり、神と世界は一体とする汎神論といえば汎神論であり、一神教な見方からすれば無神論であります。

神道を信奉するのでもなく、キリスト教徒でもなく、仏教の僧侶でもなく、一般の人のように、一応は仏教徒であると考えています。

私の考えは、前回、ブログで書きました。

これは私が都合の良いように図書館から借りた二冊の本から、引用した記事ですから、前回のブログの資料編とでもいっておきます。

二回に分けて、ブログにします。

引用する書籍を下に書きます。

 

1)「 日本とは何かということ」 司馬遼太郎・山折哲雄 NHKライブラリー

 2003年5月15日

        司馬遼太郎(1923~1996)

        山折哲雄 (1931~    )

  

本2)「 神と仏の出逢う国 」 鎌田東二 角川選書 平成21910

 

        鎌田東二(1953~    )

  

………………………………………………………………………………

私は、ブログで、飛鳥時代に発布された聖徳太子の憲法十七条で、神仏習合があったと書きましたが、実際は、もっと前から神仏習合はあったでしょう。

 

その以前に、縄文時代があり、弥生時代がありますから、その時代の「 神仏 」を探っていこうと思います。

 

まず、日本には日本の自然がありました。

、 幕末までの思想

………………………………………………………………………………

イ)神仏が習合する前

A)「日本の自然というのは、ものすごく不安定で、その不安定さの原因が地震・台風・洪水・津波である。これはもう百年、二百年の問題ではなく、まさに千年・二千年の長期にわたって続いてきた自然条件だった。だから、そういう自然がひとたび暴れだし、猛威をふるうとき、日本人はもうその自然の脅威の前に頭をたれるほかなかった。従順になって、自然に反逆するなど、はじめから諦めている。そのかわり、日常的には、そういう非常時のためにできるだけの備えはしておく。」「天然の無常という独特な感覚を抱いて、自然の猛威に対処し、自然が引き起こす災害に耐えてきた」「その天然の無常という感覚が、さきほどの吉田松陰の淡泊な精神とか、無私の精神とどこかで通い合っている」(本1、)44~45頁)

 

B)柳田国男さん(1875~1962)によれば、「村を見下ろす山から祖先の霊が農業神として村に訪れ、祝福し、そこから一年の農作業がはじまり、秋祭りで神への感謝が行われ、神は再び山へ帰っていく、というもので彼はそのようなサイクルで暮らす人々を、常人と名付けた。」(本3、)51頁)

 

C)本居宣長(1730~1801)の死後観は、「神道の安心とは、安心なき安心であると述べている。それはことさらに安心立命を求めず、死んだら魂が山に行ってこの世の子孫を見守っているという、漠然とした感情が日本人の考えであり」(本2、)168頁)

  

D)山折氏(1931~  )は「西方十万億土の浄土観というものが日本にはいってまいりますと、日本人は簡単に変えてしまいまして、浄土は山の中にあるよという「山中浄土観」という考え方をつくってしまいます。山は古くからわれわれにとっては宇宙の中心であったし、自分たちの先祖が宿っているところでもありました。「万葉集」などを見ますと、死んだ人の霊魂は山に登るということがうたわれておりますし、そのうえ、山そのものが神だという神体山の信仰が、もう「万葉集」の時代からあるわけですね。そういう意味での自然との協調の感覚といいますか、最近の言葉でいうと「共生」の感覚といってもいいだろうと思いますけれど、それがずっと千年以上も続いてきている。」(本1)13頁)

 

E)「その縄文時代は、自然をカミと感知し崇める、自然万物の中にさまざまな霊威・霊性を見出すアニミズム的・トーテミズム的な自然信仰や精霊信仰が中心であった」(本2、)150頁)

 

F)漢字の「 神 」音読みの「 シン 」の意味と、訓読みする日本の「 かみ 」の意味とは違って「 かみ 」は「 存在への最大の敬意の表現である。」

かくして「神=かみ」は、神性・神威・神格・霊性・霊威・霊格を総称し包括する「 神聖フォルダー」であり、また「 神聖カテゴリー 」である。本居宣長は「古事記伝」において、「世の常ならずすぐれたる徳(こと)のありて可畏(かしこ)きもの」と「かみ」を定義したが、そこでは、偉大なものは、どんなものでも「神=かみ」になる可能性がある。別の言い方をすれば、どのようなものでも畏怖や経緯を以て祀ることにより「神=かみ」となるのである。こうして、すごい、と思えるものはみな「神=かみ」となりうるのだから、いたるところに「神=かみ」は生まれることになる。」「雨後のたけのこのように「神=かみ」が増殖してくる。それらをまるごと一括総称して「 八百万の神々 」と呼んだ。」「この「八百万の神々 」とは、ある種、融通無碍な、多様な存在次元や存在形態を含んでいる。そのような多様性を持った、すごい威力を持つ、すなわち神聖なエネルギーにかかわるさまざまな情報や状態や形態を統合し、まとめ束ねる結集点である「フォルダー」として「神=かみ」という語が発明された。」(本2、)19~20頁)

 

………………………………………………………………………………

私は、神道の「神」は宇宙(自然)エネルギーとしたのは、上記の人たちの言葉からも肯定されると信じます。

私の中には、はるか縄文の思想が息づいているのかもしれません。

………………………………………………………………………………

 

ロ)それでは、「 仏 」とは何でしょう。

A)「 仏 」はブッダ(仏陀)のことであり、「 彼は「真理=法」に覚醒した人物、悟りを開いた人物である。ブッダの道は仏教、すなわち悟りを開いた人の説く真理の教え(仏法)であり、悟りを求めえて、世界の現象をありのままに見つめるところから真の人の道、悟りないし解脱の道を実現しようとした宗教の革命児なのである。ここに、伝承文化としての神道と伝承文化への批判と超越としての仏教の原理的違いがある」(本2、)70頁)

「ブッダの悟りは、無我とか無常とか縁起とか無自性とか空とまとめられる。要するに、人間は一般的に物事を実体ととらえ、それに執着するところに欲望の自縄自縛や業が生起して、結局、輪廻の鎖から抜け出せないのだという考えである。したがっておのれの欲望の根っこに何があるかを正見し、徹底的にその実体のなさに気づくことが根本的に大事になる。こうして、仏教で説く無我も空も、単なる無ではなく、関係性の相対性・相依性・仮像性を表わす概念となる。」(本2、)76頁)

………………………………………………………………………………

「要するに……」以降の文は、般若心経の「 色即是空 空即是色 」とおなじことだと思い、「 仏 」はひとの生きる道を示すもので、ブッダは「 かみ 」とは違う感じがします。

私は、それは、「 生命エネルギー 」とみなすのは、「 誕生から死後までの意識 」で書いたとおりです。

つまり、「 宇宙(自然)エネルギーと人体が持つ生命エネルギーは違うものであるという解釈です。

………………………………………………………………………………

ハ)神仏習合させた人

 

B)「聖徳太子は、シャーマニスティックな予知能力があった。」「聖徳太子はこうした直観知に加え、外典・内経(内経とは仏教および仏教に経典・外典とは儒教)を学んでいる。つまり、当時の最先端の知識であった儒教と仏教をともに学び、それをもとにしながら」「こうして、憲法十七条を制定するが、その第一条は「和を以て貴しと為し、さかふることなきを宗とせよ」という。聖徳太子は国内統一を「 和 」と「 天皇 」という概念と体制によってはかり、日本を仏教精神に基づく中央集権的な統一平和国家にしようとした。それは精神性の高い国家理念としての「憲法」の提示であり、日本の政治構造の土台の確立でもあった。」「豪族間のさまざまな争いを目の当たりにしてきた聖徳太子にとっては、平和を構想するためには、社会的なルールを取り決め、その基盤に道徳を置くだけでは足りなかった。そのさらに中核に仏教という精神基盤を置くことが重要だった。この路線はその後も長く形は守られ、日本の宗教文化の基本路線となってゆく。仏教と儒教と神道という三つが相互に共存しながら今日まで続いているのが日本の宗教文化の骨格であるが、その骨格を聖徳太子が定め、精神的なインフラ整備をしたとされるのである。」(本2、)85頁)

 

………………………………………………………………………………

これで、どうやら聖徳太子が神仏習合を実行したといえると思いますが、民間レベルで神仏習合したケースは書いてありませんが、私は、山岳信仰をする修験道の開祖である役小角(役行者)だと思います。

………………………………………………………………………………

 

C)「 古代からのアニミズム的・シャーマニズ的な宗教文化を基盤にしながら、新たに導入された道教や仏教、とりわけ密教的仏教を取り込みながら修行し、蔵王権現や弁財天を感得し、」「造形表現となったのが、大峰修験道の本拠地・吉野蔵王堂の本尊の蔵王権現である」(本2、)93頁)

………………………………………………………………………………

 これは、「 誕生から死後までの意識 」で書いた、山伏が般若心経を口づさむという根拠になると思います。

これは、「 色即是空 空即是色 」を修行で感得できるかもしれないからです。

 

その後、空海や最澄がでて、戦国時代にキリスト教が出てくる。

………………………………………………………………………………

 D)「豊臣秀吉は、イエズス会のバテレンたちが潜在的に企図している、キリスト教的信仰による国家支配という宗教的野望に気づき、バテレン追放令を政策として出し」、徳川幕府は「最終的に鎖国政策を実施し、政治的統一を達成して、幕藩体制をつくりあげた。」(本2、)164頁)

………………………………………………………………………………

 

« 無趣味の退職者 69歳になって考えること 6 | トップページ | 無趣味な退職者 69歳になって考えること 8 »

無趣味の退職者の生活」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31