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2018年2月 8日 (木)

書を捨てよ 自分で考えよう 3

書、即ち本を読むことは、趣味でも修行でも何でもない。
それは、あなたが、自分自身の可能性を高めることであると私は思う。
可能性は、自分で運動(知覚も含む)が可能な事の広がり(間(ma))であり、可能なことが自分の行動であれば、空間意識、達成までの日数であれば時間意識が、前者は右脳が後者は左脳が主体になって認識し、前者は「 無限 」を、後者は「 永遠 」をその極限として採用するだろう。
しかし、これは「 意識 」であり、人さまざまに違うであろう。
幼いとき、こうすれば危ないとか、死んでしまうなど人体の可能性を教わるでしょう。
私は、学問も同じ可能性だと思います。
この可能性を、無意識の能力にするのが、勉強であり、経験であると思う。
なぜか?
それは、「誕生から死後までの意識」で書いたように、万物は流転し、万物は「 色即是空 空即是色」で、日々是、変化し、一度たりとも同じことはなく、(なぜなら、地球が既に自転、公転し、その宇宙に占める場所が違うから)、認識する「 因果 」は人間の脳が考えることを超越して継続し、人はみな、自分の可能性の中でしか、「 因果 」を捉えることしかできず、従って、固定した因果は、「 知識 」や「 意識 」としての「 それ 」であり、実際の内容は「 形骸化 」し、あなたが、自分の頭で、自分の可能性で「因果関係 」を再構築しなければならない。
実存主義でいう「 企投 」や、人生はバクチだというのも、これを指しているのかも知れません。
現実は、親や教師が教えた通りに、進まないと思います。
Doctor Xなどというスーパー医師のドラマがありましたが、医者と自分を分けるものは、人体の可能性を、その人がどのように形成して、無意識に自分の可能性にしているかどうかによります。
それが「 能力 」です。
「能力 」は日々の研鑽を伴わないと、衰えてゆくでしょう。
その無意識になった「 可能性 」即ち「能力 」を伴わないと、評判を落とし、名前だけの職業になるでしょう。
町に出るのも結構ですが、「 丸裸 」ではバカにされます。
世間は、自分より賢いのです。
町に出て、何も出来ないならば、町に出ず、学び舎の中に閉じこもっていればよい。
自分の可能性や能力を、町に出て、世のため人のため生かすための勉強が、大学での学問でしょう。
資格を取って検事や弁護士や政治家になっても、頭は抜群によくても、「 今の政治家 」のように、行為が「 不倫 」や汚職であれば、頭は一流大学の賢い人は本当でしょうが、世間からみれば、ズル賢く、保身に走る利己主義者であるように見え、その結果、「 俺でもやれる 」と思うようになり、政治家がバカにされて信用を失うのも当然でしょう。

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