老人の話

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2017年12月

2017年12月31日 (日)

無趣味の退職者 25 「好き勝ってな老人の話 」の閉鎖について

ブログ「 好き勝ってな老人の話 」を2017年12月31日で閉鎖しました。

これまで皆様のご閲覧、ありがとうございました。

機会があれば、またパートⅡとして登場するかもしれません。

その際は、よろしくお引き立てくださいますよう、お願いします。

 

これまで、「 自分探し 」をして来ましたが、ブログの総括として、「 誕生から死後までの意識 」を発刊したことで、このブログも使命を終えたと思っています。

結局、自分は宇宙上で、高口克則として名前を付けられた一つのエネルギーの結晶であり、エネルギーから生まれた私は、またエネルギーに戻り、人間には観察が不能の気(ki)になり、肉体は地球上の栄養分となり、意識は文化になる。

それは「 カエサルのものはカエサルに 神のものは神に 」で、誕生により与えられたものは地球上に返し、私を導いて来たものは、私を導くために来たところに帰るのであって、「 人は喜んで自己の望むものを信じるものだ 」とユリウス・カエサルは言いましたが、「 カエサルのものはカエサルに 神のものは神に 」を喜んで信じたいと思います。

 

宗教で「 永遠 」と聞きますが、「 誕生から死後までの意識 」で書きましたように、「 時間 」は脳の産物で、今という「 間(ma)」しかないとすれば、この「 今 」に「 永遠 」があるのであり、死後、気(ki)になって漂うとすれば、何も「 永遠 」のことを考える必要はなく、私は「 永遠に存在する 」ということになると思います。

恨みに満ちて自殺しても、あなたの霊は「 永遠に 」この苦しむ世界に漂うかも知れません。

ですから、死んだら終わりでないことが、このブログを書いた私の結論です。

 

もう一つ言わなくてはなりません。

それは、無趣味であっても「 感受性をもって欲しい 」ということです。

私が思うには、私がいう「 宇宙エネルギー 」という気(ki)と、人体の物質的な無意識の「 生命エネルギー 」という気(ki)を一致させる能力(いままでの経験から得た自分の可能性の塊)、つまり脳力を「 感受性 」であると思います。

それがなければ、自分の果たすべき「 課題 」など、わからないでしょう。

ハイデッガーが言う「 存在の声を聞く 」という事が「 感受性 」ですが、「 時間 」は脳が作る必要悪ですので「 時間 」を超える生活態度の中で、真摯に「 自分 」を考えることが必要だと思います。

これは趣味があっても無趣味であっても同じです。

「 時間 」の中に享楽して生きているだけの生活は「 生中生無し 」で、自分という存在もわからず死んでゆくでしょう。

私も、そうですが。

2017年12月 2日 (土)

無趣味の退職者 24 課題について

5、でも触れましたが、課題について考えました。

ネットで見ると、課題の意味は「1、与える、または与えられる題目や主題。2、解決しなければならない問題、果たすべき仕事。」であるらしいです。

私は、5、で「 個性の発揮 」だとしましたが、弁明をさせて欲しいと思います。

私は「 神 」に司ることはないので、本来は「 神 」が個人に与える題目がそれぞれの個人の人生の課題だと思いますが、その課題を課題として受け取る個人の感受性が必要だと思います。

例えば、僧侶や神父などの神仏に司る人、あるいは人を指導すべき聖職者の全てが、「 課題 」を認識して行動しているとは、思えないのです。

個人の「 感受性 」次第で「 課題 」も違うでしょうし、「 感受性 」がなければ「 課題 」は無いかもしれません。

その意味で「 個性の発揮 」であると書きました。

神仏から「 課題 」を与えられるならば本望ですが、私の場合は、社会生活をしてきた中で、何か心に引っかかる言葉がありました。

このまま死んでしまえば、「 残念 」だという気持ちです。

「 念 」とは仏教用語で、心の働きの一つで物事をしっかりと記憶することであるらしいですが、「 執念 」という言葉にも使うように、何かに執着してそこから動かない心にも使います。

私は「 残念 」とう気持ちが、「 成仏 」する妨げになりはしないかと思い、これを自分なりに、自分の個性で、何とか決着をつけたいと思いました。

それは、「 誕生から死後までの意識 」に書いた「 色即是空、空即是色 」や「 死中生有り、生中生無し 」や「 我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこに行くのか 」という言葉でした。

それらに何とか自分なりに決着をつけたのが「 誕生から死後までの意識 」です。

私は、これから認知症になったり、不治の病で意識が薄れ、何の課題も感じなくなる老人になるでしょう。

これが、神様からの祝福であると思っています。

 

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