老人の話

日本ブログ村

無料ブログはココログ

« 無趣味の退職者 23 誕生から死後までの意識の後記 | トップページ | 無趣味の退職者 25 「好き勝ってな老人の話 」の閉鎖について »

2017年12月 2日 (土)

無趣味の退職者 24 課題について

5、でも触れましたが、課題について考えました。

ネットで見ると、課題の意味は「1、与える、または与えられる題目や主題。2、解決しなければならない問題、果たすべき仕事。」であるらしいです。

私は、5、で「 個性の発揮 」だとしましたが、弁明をさせて欲しいと思います。

私は「 神 」に司ることはないので、本来は「 神 」が個人に与える題目がそれぞれの個人の人生の課題だと思いますが、その課題を課題として受け取る個人の感受性が必要だと思います。

例えば、僧侶や神父などの神仏に司る人、あるいは人を指導すべき聖職者の全てが、「 課題 」を認識して行動しているとは、思えないのです。

個人の「 感受性 」次第で「 課題 」も違うでしょうし、「 感受性 」がなければ「 課題 」は無いかもしれません。

その意味で「 個性の発揮 」であると書きました。

神仏から「 課題 」を与えられるならば本望ですが、私の場合は、社会生活をしてきた中で、何か心に引っかかる言葉がありました。

このまま死んでしまえば、「 残念 」だという気持ちです。

「 念 」とは仏教用語で、心の働きの一つで物事をしっかりと記憶することであるらしいですが、「 執念 」という言葉にも使うように、何かに執着してそこから動かない心にも使います。

私は「 残念 」とう気持ちが、「 成仏 」する妨げになりはしないかと思い、これを自分なりに、自分の個性で、何とか決着をつけたいと思いました。

それは、「 誕生から死後までの意識 」に書いた「 色即是空、空即是色 」や「 死中生有り、生中生無し 」や「 我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこに行くのか 」という言葉でした。

それらに何とか自分なりに決着をつけたのが「 誕生から死後までの意識 」です。

私は、これから認知症になったり、不治の病で意識が薄れ、何の課題も感じなくなる老人になるでしょう。

これが、神様からの祝福であると思っています。

 

« 無趣味の退職者 23 誕生から死後までの意識の後記 | トップページ | 無趣味の退職者 25 「好き勝ってな老人の話 」の閉鎖について »

無趣味の退職者の生活」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31