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2017年9月 3日 (日)

無趣味の退職者 15 記憶

自分が生きているのに必須である「 記憶 」について、我々は何を知っているというのだろう。
ネットで「 記憶 」について検索してみても、長期記憶とか短期記憶とか、あるいは脳のどの部分に蓄積されるかは知ることができるが、私は満足できない。
「 時間 」を、脳が関係づけるための道具と考えると、長期や短期という区別は意味がない。
私は、運動の過程から脳に受けた衝撃を「 印象 」と考え、その衝撃(エネルギー)を脳が蓄積し、それを整理し、関係づける接続詞のようなものが「 時間 」という意識(時間意識)であり、目覚めているとき「 印象 」を整理、蓄積し、睡眠する間に今まで蓄積した「 印象 」を結び、一定の運動エネルギーとして、海馬に蓄積すると思う。
「 時間 」は存在しないから、過去と現在と未来の区別は無く、存在するのは「 現在 」「 今 」のみで、過去や現在や未来、「 時間 」の繋がりではなく、個人の脳の内部に、運動により脳が受けた衝撃(エネルギー)を「 時間意識 」により「 印象の関係 」として有るのだろうと思う。
意識はDNAにより人類皆相違するから、時間も記憶もすべてが「 個人的 」であると思う。
すべてが「 個人的 」あるいは「 主観的 」であるのに、ある一定の「 時間 」や「 記憶 」があるというが、それも人間が定義したものであり、間違っていることもあると思う。
 

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